郷土高松が生んだ川柳作家 鶴彬(つるあきら)

ふる里タンク高松会 川端精二
鶴彬の評価は、一般には反戦作家と言われておりますが、郷土「高松町」を愛した柳人でもあります。以下に掲載しました川柳には、郷土愛が充ち満ちております。

2009年は鶴彬生誕100年にあたります。
ひろく皆様のご意見を求めています。

砂山と啄木と鶴彬
 砂山の 砂に腹這ひ初恋の
    いたみを遠く おもい出づる日


 函館の大森浜に、とても綺麗と言われている石川啄木の歌碑があります。啄木22歳(明治40年)の詩です。

砂山を歌った有名な演歌に石原裕次郎の「錆びたナイフ」があります。

 砂山の砂を指で掘ってたら
 真っ赤に錆びたジャックナイフが出てきたよ
 どこのどいつが捨てたやら
 胸にジンとくる小島の磯だ


と同じように哀愁を誘う歌詞です。

郷土の川柳作家鶴彬が高松海岸を詠んだ川柳に

 春を吸ふ 白砂の歓喜に 腹這て(17歳初夏)

また

 波、波、波、男、女獣めく(18歳夏)

などと海辺の情景を扇情的に詠み上げていますが、彼の直情的な性格をそのまま表しているようです。

啄木は函館から東京に移り住んでから、函館の海辺で遊んだ日々の情景を文中の一節で次のように述べています。

 「海」と予のあいびきは日毎の様にかの大森浜の砂の上で遂げられた。

郷土高松出身の川柳作家鶴彬は、大正14年の夏暴風の過ぎ去った後の海岸に立って詠んだ川柳に

 暴風と 海との恋を 見ましたか     と。

 鶴彬は、海と嵐の情景を17文字の川柳の中で”恋”と”見ましたか”の語句で鮮明に描き切っています。
 それは少年時代に日毎日本海を眺め育った鶴彬だからこそ感じられるもので、猛烈な嵐が過ぎ去った後には、時化が海を底深く迄爆気して浄化させ、澱んだ海を活性化し、川からミネラル豊富な水が流れ込み、魚も漁師も活き活きと蘇る。
 それはまさに海が嵐に焦がれるはげしい恋なのでしょう。

 鶴彬にとっての少年時代は

 泣く笑ふ そして子等の 日は終り

と感情の起伏が烈しい日々だったのかも知れませんね。