末森城合戦と高松
桜井三郎左衛門の働き
2004年5月 | |
ふる里タンク高松会 川端精二 | |
桜井三郎左衛門の頌徳碑 (桜井三郎左衛門屋敷跡に建立された額神社に設置されている) |
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『天正年間の末森合戦において利家公が援軍を引き連れて高松にこられ、翁の家を訪ねて敵軍の状況を探られた。その時敵将の佐々成政は、軍勢を川尻村に出して利家の援軍の来るのを待ち構えていた。それで翁は利家公の軍勢を波打ち際からこっそりと進ませるように道案内をし、その為に大勝を得ることができた。凱旋される日に利家公は再び翁の家を訪問され、たいへん喜ばれて、褒美はお前の望み次第に与えると言われた。翁はそこで高松村民の地租を末代まで免除して欲しいとお願いし、利家公はこころよく承諾された』 となっていて、この文章は、高松の昔からの言い伝えをもとに、石動山(鹿島郡)の神官が作成されたものとの記載があります。 |
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